研究科委員長ご挨拶

経済学における知の前線を目指す

小室  正紀

小室 正紀(こむろ まさみち)(経済学研究科委員長)

慶應義塾大学大学院経済学研究科は、1906年に開設され、百年以上の永い伝統を持つ経済学大学院です。専任のみでも50名を越える教授陣を擁し、その研究教育領域は、経済学のほとんどあらゆる分野をカバーしているばかりでなく、多くの重要な関連境界領域にまで及んでいます。しかも、そこには、相互に異なる、さまざまな視点や方法を持ったスタッフが共存しております。この多様性を許容する精神は、本研究科が護ってきた大きな特色です。

現在、われわれの前には、激しく展開する国際経済、新興経済大国の台頭、自然環境の変化、急速な高齢化など、取組まなければならない課題が山積しています。近代社会の成立以来、経済学は常に、それぞれの時代の課題に取組んで来ましたが、現代ほど、変化する社会を把握する経済学の力が、求められている時代はないかもしれません。

本研究科のスタッフは、上述のような多様な視点や方法により、これらの課題に取組むべく勉めております。あるスタッフは、経済社会の原理を把握するため、数理経済学のモデルを研究することを専門とし、あるいは別のスタッフは、経済理論を道具として現実の様々な経済活動や政策を分析しています。また、50年、100年の単位で、歴史的に経済社会の変化を捉えようとしているスタッフもいます。あるいは、現代における経済学の発想を相対化するために、経済学説等を歴史的に研究している分野もあります。本研究科の大学院生諸君には、このような多様で充実したスタッフと共に、経済学という知の前線に立つ力を磨いてもらいたいと思っています。

その力の基は、第一には、専門的学問を修得することです。学部段階の経済学教育は、必ずしも経済学の専門家を育てるためのものではありません。学部では、むしろ専門的な教養として、経済学を教育することが大きな目的です。それに対して、本研究科の目指す所は、経済学の学問そのものによって社会に立ちうる能力を教育することです。この目標は、修士課程でも博士課程でも変わりはありません。修士課程で就職を目指す諸君は、2年間で修得した専門的学問をそれぞれの職業の場で試考して行くことになるでしょう。また博士課程へ進む諸君は、さらにアカデミックな世界で、その学問を深めて行くことを目指します。

第二には、専門的学問を追求する過程で、知の前線に立つ精神を身につけることです。知の前線に立つということは、単に、既存の最先端知識を習得することではありません。自らの真摯な研究の結果であれば、どのような権威ある学説に対しても疑問を呈し、新たな知の地平を拓くこと。これが知の前線に立つ精神です。「試に見よ、古来文明の進歩、その初めは、皆いわゆる異端妄説に起こらざるものなし」。これは『文明論之概略』における福澤諭吉の言葉です。大学院で研究を始めたばかりの諸君が、権威ある通説に挑戦することは簡単にできることではありません。しかし、本研究科に学ぶ者は、精神としては福澤のこの知的ラディカリズムを忘れることなく、それぞれの専門分野において研鑽を重ねることが求められています。また、本研究科も、そのような諸君を支えうる研究教育機関たらんと努めております。